『ジサツのための101の方法』レビュー草稿

タイトル通り、エロゲ『ジサツのための101の方法』レビューの草稿です。遥か昔に書いた。途中だと思う。
レビューしている作品もあいまってか、「こいつ何言ってるんだ」感がすごいがご査収ください。それではどうぞ。

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ジサツのための101の方法、まだフルコンプではないのですがとりあえずトゥルーEDに辿りつきました。おばけもゾンビも一切出てきませんが、こちらの予測や理解や認識や常識を軽く飛び越えてくるシナリオがとにかく不安で恐ろしく、そして高尚なゲームでした。

タイトルにも含まれる「ジサツ」ですがこれはあくまでシナリオを彩るエッセンスでしかなく、ゲームの根底にあるのはヒトや世界の実存に深く切り込んだひどく哲学的なメッセージで、そのあまりの鋭利さと切実さには畏怖すら覚えました。エロゲにこんなにも思考をかき乱された挙句本能的に怯えたのは初めてで今もドキドキしています。

まずこのゲームの重要なキーワードになっている「世界」ですが、ヒトは世界という概念を他者からの認知によってしか定義することができない……そんな空虚に無意識下で気付いてしまう、緩慢な諦念からシナリオはスタートしているのかなと思いました。

そんな世界において他者からの認知を唯一超えることができ、かつ実行可能なのが「死」という体験なので、主人公は自殺願望を抱き始めたり、袋詰めの猫を屋上から落としたりして、不器用な手法で世界に対し自らの認知を介入させていくことに焦がれているという印象を受けました。

世界という絶対的なはずの、言い換えれば秩序が主人公の中で無数に立ちのぼり気が狂いそうな最中、もっとも信じ難い現実として現れた新たな世界の候補。それは「主人公が望めば欲しいままに何もかもを創ることができる」というもので、主人公は実際にそれが現実であることを受け入れ、あらゆる物理法則・固定観念・刷り込みの常識を乗り越えて世界を創生しました。

このことは一見壮大なフィクションのようですが、妄想でもファンタジーでもありえません。シナリオのスタート地点である「他者からの認知によって初めて確立される自らの存在」という極めて不安定な自己を、主人公が克服したのだと感動的に明示したのです。さらに恐ろしいことには、ゲームの外側に存在するわたし達にもそれが可能であることを示唆する希望を与える、極めてメッセージ性の強い思想が含まれた重要なパートでした。

(続)