ミスFLASH

2019年9月29日日曜日

昔やったコンテ描く仕事の話

カラーコードで言うと、ffcccc辺りのピンクが私はめちゃくちゃに好きですが、グッズなどはあまり見ないんですよ。私も絵を描く時、あれだけ淡いピンクは使わないので、実用の観点では難しい色味なのかな、と思います。カドミウムイエローやコバルトブルーディープやシアンブルー辺りが、実際に減る色かもしれません。

そういえば、日記のスマートフォンデザインを変更しました。今はもう、皆さんスマホでの閲覧が多数派なのかなと思ったためです。
しかしそもそも私が、たくさんの人に見てもらうための努力など、まったくしていないことはフィリア間じゃ有名なのでは?ですが私も、PCぶっ壊れてからはスマホオンリーだから…。他人どうこうでなく、自分が見にくかったんです。

PC本当にどうにかしなきゃ…Adobe系フルで入ってたんですけどもう使えないのかなあ…。作りかけのボカロPVは、プレミアだったかアフターエフェクトで途中です。完成させないと死ぬに死に切れません。
しかし以前さんざん騒いでいたように、データが飛んだわけです。しかも、死に切れないなどと供述しつつ実際死んでます(笑)
入院していた時分、OTさんのご趣味がPCの自作のことで、いくつかPC情報は仕入れましたがこれ如何に…。彼はパーツを仕入れによく、秋葉原へ出向くみたいです。

秋葉原は中高が近かったので、遊びに行ってる子は居たと思います。最近散歩しましたが、私はそもそも、秋葉原だろうがどこだろうが、あまり遊んではいなかったかもしれません。
ファミレスへは行ってましたよ。でも学校の近くにありましたからね。秋葉原の方面へも当時行きましたが、やっぱりファミレスに落ち着いていたと思います。
ファミレスで何をしていたかと言うと「対話」です(笑)古代ギリシャのように(笑)要するにお喋りですが、実際にギリシャの奴らはそれで教科書載ってんだから…。
いやさすがにそれが、単なるお喋りではないんやなくらいはわかりますよ。でも、「ウチらも対話していましたねん」と言い張って、一体誰か困るのでしょうか。

そういえば中学生の頃、秋葉原でアルバイト的に撮影してましたが、同じスタジオに、現・売れっ子声優が居ました。当時彼女は高校生で、なんだか高校の頃から、声優の勉強を独学でしていたらしいです。カメラマン(という名のオタク)が、ニコニコしながら教えてくれました。
はのさんも声相当可愛かったから(自画自賛・笑)、あるいは声優もワンチャンあったと思います…。でも当時は全然ダメでした。というのは、夢を叶えるには、自惚れってめちゃくちゃ大事ですよ。私はそれがゼロだったんです。周囲が自己肯定感を潰したら、マジでダメになる一方です。
話は戻りますが、PC使った専門職(cf.→絵描き)以外、もはやPCをやる必要はないのかな、と思ったりもします。社外で、という意味です。タブレットあるし。どうなんだろう?学生はレポート書くから、家にPC入り用ですけど…。

そういえば日記ログを読んだら昔、「学生さん」呼ばわりされるのを、私はなんだか毛嫌いしていました。「偉い人は私を、決して学生さん呼ばわりしないの、どうしてだろう?」とか言って。いや学生さんは学生さんだろ(笑)
その「偉い人」は、映画監督の新城毅彦さんです。少女漫画原作の映画をめっちゃ撮ってる方。昔、彼のコンテの草案を描く仕事をしました。前にも書きましたね。さすがに美大でそんなアルバイトの募集はありませんよ。違うルートからです。
「あんまりひきこもらないようにね」と監督に言われたなどと書いてありましたが、今はひきこもりなんてチャチなもんじゃあ断じてねえことに全然なっています。投身自殺してるよ〜(笑)