私は「仕事」「仕事」言うやつが大嫌いだ。父が私に1回も、「仕事」と言ってこなかったかもしれない。
ため息をつくやつも大嫌いだ。母が「はなちゃん、ため息をつくとしあわせが逃げちゃうよ」と、私に繰り返し教えてくれたというのがある。
ちなみに、ここで言う「大嫌い」とは、「死んで詫びろ」の意。

いずれも理由は、「人を不快にさせない」に尽きると思う。なぜ周りが、そんなごく簡単なことをまったくもってできないのか理解できない。
精神科で薬を大量にもらい、覚醒剤まがいの薬も大量に自分でそろえ、食事が摂れなくなり、病的に痩せ、セックスが上手になり、自分が気持ちよくなることは一切考慮せず、意見はすべて反故にされ、まるで私がおかしいかのように熨斗を叩きつけられ、段ボールに住めと遠回しに言われ、最終的にベランダから飛び込む
だけでできるのに。
「誰一人として不快にさせない」ことは、そんなことで、そんな簡単なことで、とてもらくに誰でもできるのに。
なぜ周囲を一切鑑みずに、「自分は生きる」ということが、皆選択肢にあがるのだろう。なぜ「死んで詫びる」ことができないのだろう。
私は"概念"の話をしています。
何度も何度も何度も何度も言うように、「特定の人物」についてが、私の大切な日記に書き記されることは、妄想だけでもたいへんおこがましい。それこそ死んでくださいね。
とはいえ、不思議でならない。
とっても不思議でーす。