ネーミング[naming]──現代デザイン辞典

ネーミング [naming]

言語を扱う論文で頻繁に挙がるのが、その恣意性である。モノとコトバの間には、必然的な結びつきがない。犬という動物をイヌと呼ばなければならない理由はない。その恣意性に目を向けるあまり、私はこれまで、ネーミングという行為を他の観点から見つめたことが無かった。
しかしこの項目では、名前を付けるというその行為について、広告という観点から、また違ったことが書かれている。「人は、重要なモノやコトから名前をつけていったから、名前の知られていないモノは、認知されていなかったり、存在感が極端に低くて人から人へ伝播しにくいうえ、信頼性にも乏しい」のだという。確かに我々はモノを買う時に、ブランドイメージをある程度は鑑みる。このメーカーは信頼できるから買う、あるいは、このブランドを身に着けたいから買う、というふうに。信頼できるメーカー、身に着けたいブランド、我々にそう思わせるということはすなわち、それらの名前が広く知られ、認知されているということを意味する。広く知られ、認知されるために、ネーミングという行為は重要なのだ。そのことに初めて気が付いた。
何か新しいモノを産み出した時に、それに名前を付けなければ、ただの「何か新しいモノ」でしかない。その点でネーミングが大切なのは言うまでもないが、さらに言うと、名前をつけた後、そのネーミングにモノ自体の印象が引っ張られていく可能性もある。ブーバ・キキ効果(丸い線とギザギザの線とからなる2つの図形を被験者に見せ、どちらか一方の名がブーバで、他方の名がキキであるといい、どちらがどの名だと思うかを問うと、大多数が丸い図形がブーバでギザギザの図形がキキだと答えるという現象)に代表されるように、語感だけで我々はすでにある程度のイメージを頭に描くからだ。
しかし、それらの点を総括すると、ネーミングという行為は、新しいモノを産み出すこと以上に難しいと言えるかもしれない。この事典でネーミングについて触れたことは、モノとコトバの関係について、改めて考え直すきっかけとなった。